ガムラン修行、初日・・・の巻
朝7時起床

今日から4日間ガムランを習いにデンパサ−ルヘ通う。
ボリューム満点の朝食を終えて、8時ごろ出発する。
行きは私がAさんのバイクの後ろに乗る。
途中ガソリンスタンドによって燃料補給をする。
1台目のバイクにガソリンを入れたあと、
店員の兄ちゃんにいくらか尋ねた。
言われた値段は、あらかじめ聞いていた値段より
はるかに高かったけど、『そんなものなのか』と
すんなり払ってしまう。
そして、2台目のバイクにガソリンを入れるときに、
始めてボラれたことに気づいた。
よく見れば、ガソリンのタンク?というのかそこにはちゃんと
○ガソリン1リットルの価格
○入れた量
○合計金額
以上が、ご丁寧に表示されている。
皆自分でそれを見て支払っていた。
「やられた!!」
とてもくやしかったけど、よく注意すれば気づいたこと。
ボーっとしていた私も悪い。
兄ちゃんも試しに言ってみただけだったのかも・・・
法外な料金をすんなり払った日本人に、
言った本人が内心びっくりしていたに違いない。
浮いたお金は、兄ちゃんの小遣いになったのかな?
2台めの料金はしっかり確認してかたく払う。
レギュラー1リットル1000ルピア、
バイク一台3000ルピアがだいたいの目安。

このあと一ヶ月間旅を続けている間に、なぜか
ガソリン代が1リットル1150ルピアに値上がりし、
そのせいで、どこへいってもベモやバス、船までも
運賃が値上がりしてしまったのには驚いた。
フローレス島では乗客とベモ側で値段の折り合いがつかず、
ストを起こしている町もあった。
それだけ彼らにとっては重大なことなのか・・・
ガソリンも満タンになり、再度出発する。

ウブドからデンパサールへ行く途中には、
木彫りで有名なマスや銀細工で有名なチュルクなど
ツアーで行くと観光コースになっている町をたくさん通る。
そのなかでも最近観光客の間で安いと評判の市場がある
スカワティというところはバスやトラックが
そう広くない道を行き交うため、
とても危険でIさんもほんのすこしバスと接触してしまった。
幸い怪我はなかったものの、ここは要注意地帯。

何とか無事にデンパサールに到着する。
今回ガムランを教えてくれるコマンさんの家は、
年に一度、バリの芸術祭が行われる
アートセンターの近くにあって
大通りからかなり離れた奥まったところにあるので、
とても静かで、のどかなバリらしい家。
約3年ぶりにおじゃまするコマンさんの家は
前とほぼ同じで、なんだか懐かしい。
けれど、とても小さかったコマンさんの弟さんの子供たちは
すっかり大きくなって、
上の女の子はもう小学生になっていた。

家の門をくぐるとコマンさんの奥さん「カデさん」が
出迎えてくれる。コマンさんは外出中らしい。
私たちが以前日本でガムランを教わっていた人に
紹介してもらったコマンさんは
日本語のガイドをしていたこともあり、
日本語がペラペラで、日本にも何度か来たことがある。
でもガムランを教えることを職業にしているわけではないので、
とりあえず頼んでみて予定があいていれば教えてくれる。
しばらくしてコマンさんが帰ってきた。
久しぶりの挨拶を済ませ、早速練習を始める。

今回は『ガボール』という、
曲の最後の方で花を撒く歓迎の踊りを教わるつもりだった。
コマンさん自身『ガボール』を叩くのは久しぶりらしく、
バリダンスの踊り手である奥さんに訊きながら思い出していたが、
すごいもので出だしさえ思い出せば、
後は何もなかったかのようにすらすら叩いてみせた。
曲名を言えばなんでもたたけるコマンさんの頭の中には
いったい何曲ぐらいインプットされているのだろう。
練習風景。手前の人が先生のコマンさん。

ガムランはいろいろな楽器で構成されているが、
その中でも私たちが習うのは「ガンサ」とよばれるもので、
鉄琴型の旋律打楽器で右手で10枚の鍵盤を
木製のかなづちに似たパングルというもので叩いては、
左手でとめていく。
楽譜もどうやらあるらしいけれど、
私たちは、ガムランは基本的に耳で聞いて覚えるものだと
思っている。コマンさんから教わる時もいつも楽譜なしで、
コマンさんがメロディーを弾いた後
私たちがその後に続いて弾き
覚えるまで何度も何度も繰り返し同じフレーズを弾き続ける。
コマンさんは日本人に教えることに慣れているためか、
ゆっくり丁寧に私たちが納得いくまで
くりかえし教えてくれる。

でも今回は4日という短い時間しかない
ということもあってか、いつもより進むペースが早い。
日本であらかじめテープを聴いていたので、
大まかなメロディはなんとなく覚えてた。
始めのうちは何とかそのペースについていけていたが、
バリガムラン特有の速いリズムパターンの部分になると
全くついていけない。
頭ではわかっていても手がついてこない。
朝9時過ぎに始まった練習は
12時を過ぎてもまだ終わらない。
新しいフレーズに進むたび、頭をフル回転させる。
人間の集中力は2時間までと以前どこかで聞いたことが
あるけれど、そんなことは言ってられない。
がむしゃらに叩きつづける。
そのうち手がメロディを覚えてくればこっちのもの。
お昼を過ぎると、さすがに意識も朦朧とし始め
腕もだるくなってきた。

もう限界と思ったころコマンさんから「お昼にしよう」
という言葉が出てきた。
3人ともそれを聞いてはーっと脱力してしまった。
それまで張り詰めていた緊張感が一気に切れてしまった。
ガムランを必死で引き続けた後は
しばらくは放心状態になってしまう。

習っている間のお昼ご飯はいつもコマンさん家でいただく。
今日はナシ・ブンクス。
ナシはインドネシア語で「お米、ごはん」
ブンクスは「つつむ」と言う意味で、
ごはんの上にいろいろなおかずをのせたものを
紙で包んだ持帰り用のごはんのこと。
だからインドネシアの食堂や屋台などで、
注文したものを持って帰りたいときは、「ブンクス」と
一言付け加えればいい。

さてさて、ごはんも食べ終わり時計を見ればもう2時。
再びガムラン練習にとりかかる。
今度はせっかく覚えたものを忘れないように
何度も繰り返し弾きまくる。
気が付けば4日かけて覚えようと思っていた10分ほどある
『ガボール』は1日目の午前中には
最後までひととおり通っていた。
腕はもちろんだるかったけど、何が一番つらいって、
お風呂のイスみたいなイスに、ずーっと座っていることが
一番の苦痛。おしりが痛くてたまらない。

コマンさんも今日は予定がないのか、私たちに付き合ってくれる。
コマンさんは疲れないのだろうか・・・
練習を止めさせてはくれない。
夕方になるとさすがに集中力もなくなってきたので、
今日はこの辺で終わりにする。
ここに来るとほんとにガムランしかやらない。
でもそれが楽しかったりする。
とても疲れていたので寄り道をせず、まっすぐ帰る。

今晩はスマラ・ラティという舞踊グループの公演日だったので、
ウブドまで見に行く。
ウブド周辺では毎晩どこかで踊りが見れるようになっている。
このスマラ・ラティというグループは日本人に大人気で、
たくさんあるグループの中でここが一番だという人が少なくない。

この日の公演も例外ではなく、見にきている客のほとんどが
日本人だった。
思わずここは日本かと聞きたくなるほど・・・

公演の方は観光慣れしているのか、パフォーマンスがすごい。
構成がよくて見ている人が飽きないように
工夫されているように感じた。ナンテえらそうなことを
いってみたものの、実際は何にもわかっていないのだけれど・・

宿へ帰る途中、電話局に立ち寄る。
今日1号が日本からきてクタに泊まっているはずだった。
1号の常宿へ電話してみる。
あいにく外出中でしばらく帰ってこなさそうだ。
明日合流する予定だったので、連絡とりたかったんだけど、
無事到着したことは確認できたので、明日の朝かけなおすと
伝言を頼み宿に帰る。
もし明日連絡取れなかったらどうしようという不安はあったものの、
疲れていたこともあってすぐに眠りについてしまった。
もちろん今日のガムランの復習をしてから・・・。